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靖国神社で考えた。
 二週間ほど前になるけれども、終戦記念日に靖国神社へ行ってきた。昨年に続いて二度目。ただ、そんなことをすることももう必要ではないかもしれないと境内でぼんやりと考えていた。そもそも、自分がわざわざ足を運ぶかと言えば、バランスのためという部分が大きい。多少ひねくれた言い方をすれば、何から何まで右傾化だ右傾化だと言われるほどに日本は左傾化していた。そのような風潮を改めるためには、近隣諸国そしてマスコミ各社がもっとも苦々しく思うであろう、そしてそれだけに効果的であると思われる、この日の靖国参拝がもっとも効果的だろうと考えていたのだった。

 けれども冒頭に述べたように、今回参拝に行ってからそれもぼちぼち頃合いかと感じるようになった。毎年のことかもしれないけれども、境内は人でごった返していた。拝殿までの道には長蛇の行列ができており、初詣さながらの賑わいであった。また、若い世代が非常に多いのが印象的であった。自分のように一人だけという方も少なからずいた。
 この日での経験以外にも少しずつであるが、これまでの空気は変わりつつあるように思われる。少し前のニュースになるけれども、新しい教科書を作る会の教科書が東京都の教育委員会で採択というニュースがあった。最初に出版された際には戦前の日本を美化するものとして危険書のレッテルを貼られ、全国で数カ所しか採択されなかったこの教科書が、最近では少しずつではあるが受け入れられるようになっているとのことである。また、その事実がそれほど大きな話題として扱われているわけでもない。この件に象徴されるように、右寄りな発言をすること自体がはばかられるというようなことはほぼなくなったと言って良いだろう。その手の情報はいくらでも手に入れることができるし、まだまだ偏向していると言われながらも、テレビでその手の意見を聞く機会も増えてきた。中央線をどこに引くべきかという問題はあるものの、状況は大いに改善されたというのは間違いないのではないか。

 この認識が、最初に述べたような考えを持つに至った経緯である。自分は別に右翼であるというような意識はない。もちろん、日本という国を命をかけて守ろうとしてきた旧日本軍の方々には敬意を表する。しかし、その一方で特権を悪用して悪さを働いていた者も少なからずいたというのはどうも事実のようである。結局のところ、いつだってどこにだって良い人もいれば良くない人もいたのであって、そのようなものを時代だの国だので一緒くたにして、肯定したり否定したりするという行為に意味があるとは思えない。何年か前からはそのような考え方ができるようになってきた。


 要するに、わたしが言いたいのは何事もバランスというものが必要ということだ。人間というものが完全でない以上、これだけを信じていれば間違いないというものは存在し得ない。そんなものをお手軽に出してくれるのは宗教だが、それはいわば葉っぱのお金のようなもの。騙されている分にはハッピーだろうが、それで世界すべてを救うことはできない。となれば、まっすぐ歩くことだけにこだわるのではなく、右に行ったり左に行ったりしながらおおよその方向を把握して、ふらつきながらも正しい道を探し求める他ない。
 
 ここで注意すべきなのは、完全無欠の選択肢はないということである。何にせよ、個々の選択肢のあら探しをすればそんなものはいくらでも出てくるだろう。けれども、そこで重要なのは欠陥の有無だけで判断するのではなく、大局を見定めて今必要なのは何なのかという視点で物事を考えることである。冒頭の話で言えば、わたしとしては日本の多くの議論の中で右寄りな発言が弱いという認識があり、その是正のために右寄りな主張を多めに摂取し、自分自身もそういった主張をしてきた。しかし、それは必ずしも、それらの主張をすべて信じるということを意味しない。これは風呂のお湯が熱くて水を足したからといって、水風呂に入りたいというわけではないのと同じである。


 こんな話をしていると思い出すのは週末の衆議院総選挙。これについても投票を前にして様々な意見が交わされており、各社の世論調査を見る限り、民主党が圧倒的に優勢のようである。これもまたバランスという点でわたしは民主党を支持している。ただし、先ほどの右と左の問題と同様、民主党の政策を全て納得した上で指示しているというわけでは一切ない。多くの者が指摘するとおり、民主党の政策には財源をどこから持ってくるか等、不確かな部分があるのは確かだ。しかし、これまで数々の問題を棚上げにしてきた自民党に現状を改善する力はない。「責任力」といったところで、これまでの問題を放置してきた責任はどうする。

 かといって、民主党政権になればバラ色の未来が待っているかというと、そんなわけではない。むしろ逆で、すぐに下手をやって政権の運営能力を問われ、もしくは何かしらのスキャンダルに巻き込まれ、1年から2年の内には今の自民党に似た立ち位置になることだろう。けれども、これも大切なことなのである。なぜなら、重要なのは民主党が政権を取ることではなく、自民党に対抗する勢力を育て、下手なことをやればどちらも野党に落ちるという危機感を持って政治に向かうような状況を作り出すことにある。選挙後、野党に落ちた自民党は次のために奮起するだろう。まさに今のように相手のネガティブキャンペーンに終始することも当然考えられるが、それを選ぶのは国民である。国民がそれに与しなければ正攻法、つまり対抗できる政策でもって与党と競い合うようになるだろう。そこに競争が生まれ、双方が切磋琢磨しながら成長していくことが期待できる。

 夏の甲子園は終わったけれども、これを野球にたとえることができるだろう。チーム日本には現在任せられるピッチャーが自民くん一人しかいないが、連戦で疲労困憊の状態。チームには成長株の1年生、民主くんがいるけれども、まだまだ実戦の経験はなく危なっかしい。ここで今、監督の国民くんが明日の登板をどうするかを委ねられている、といったところである。
 当面をしのぐだけであれば、経験のある自民にそのまま任せる方が無難な結果に終わるだろう。しかし、今後のチームの成長を考えると選択肢は変わってくるはずだ。任せられるピッチャーが一人しかいないのでは、いざというときの代わりがいないということになる。また、チーム内で切磋琢磨することもできない。とすれば、目の前の試合を落とす危険はあるとしても、新人に経験を積ませるという選択肢は十分に意味があるものとなる。それはギャンブルと言えばそれまでであるが、目の前の勝ち負けがすべてではない。失敗や敗北も経験なのであり、その経験はチームの遠い将来を見据えれば大きな価値を持つものとなるのである。


 このような考え方はいわゆる二大政党制という奴に近い発想であろう。一応制度上はそれにならっているのだから、今の体制をそのままにしていればその道に進むことはおそらく正しいのであろうし、このような発展を遂げるのは必然なのだろう。とはいえ、もちろん選択肢はそれだけではないということを最後に指摘しておきたい。政治はお上のもので、庶民はそれに任せて家業に精を出すという、日本モデルがこれまでは存在していた。それが経済発展の行き詰まりによってうまく行かなくなったために仕方なしにアメリカの真似事をやっているというが現状であるが、進む道はそればかりではない。旧来の日本の分業体制を現代に当てはめるという道も考えられて然るべきではないか。結局のところ、制度はあくまで統治のための方法でしかない。お互いが納得していれば、統治の形態はどんなものであっても問題はないのである。



☆本日のコピペのコピペ☆

のりピーとカキピーの違い
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/08(土) 19:00:07.10 ID:+HIueAEt0
教えてください

2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/08(土) 19:00:35.76 ID:cbCT4Wdv0
おかしが柿ピー
おかしいのがのりピー
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日本とタイを泳いだ魚、プラーニン
わたしは基本的にテレビを見ないのだが、先日なかなか面白い番組をやっていた。それは皇室関係の特番。紀子さまの出産前に合わせてなのか、出産までの経緯なども扱っていたが、それ以外にも他の皇族のエピソードなども交えた内容盛りだくさんの2時間番組であった。

数あるエピソードの中で、もっとも感動したのが「プラーニン」の話題。この魚は現在のタイでは安くて栄養のある大衆魚として広く普及しているらしいのだが、その普及に何と今の天皇陛下が関わっていた!という話である。

事の発端は、当時皇太子であった天皇陛下がタイの養殖試験場に足を運んだことにあったらしい。当時はタイも戦後の貧しい時期であり、タイの国王は国民のタンパク質不足に悩んでいた。そして、その解決策としてタイでは魚の養殖を研究していたのだった。その光景を見ていて、天皇陛下はそのとき研究していたものではなく別の魚をお勧めしたのだそうだ。後にその魚は天皇陛下からタイ国王に贈られ、王宮の池で飼育された後に漁業局に配られて大規模な繁殖が行われるようになった。その魚こそがプラーニンであった。

何で天皇陛下が?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実はこの方は魚の研究者なのだ。

「ハゼの分類学的研究者であり、日本魚類学会に属して28編の論文を同学会誌に発表している。平成12年(2000年)には海外誌Geneに第一著者として論文が掲載されている。また平成4年(1992年)にはScience誌に"Early cultivators of science in Japan"という題の寄稿を寄せている。魚類学における業績は各国で評価されている。」 (wikipediaより)

こういった経緯で、プラーニンはタイにやってきた。最初に贈られた50匹は繁殖しやすいという評判どおり大増殖し、今ではすっかりタイの庶民の味として定着しているのである。育てるのが簡単ということで、学校での実習としてプラーニンの養殖がカリキュラムに組み込まれているところもあるという。また、1973年にバングラディッシュが食糧危機に陥ったときには50万匹のプラーニンがタイから寄付されたそうである。タイばかり出なくバングラディッシュ国民の命も救ったのである。


日本の天皇陛下が他国のお役に立っていたということ、しかも栄養改善という末端の末端の目に見えにくい、しかし何よりも大切な部分で関与していたということは、聞いていて何ともうれしいことであった。けれども、それ以上にうれしかったのは、タイの人々がそれを感謝してくれているということであった。プラーニンというのはタイの呼び名で、その名はタイ国王によって命名されたとのことであるが、その由来は何と天皇陛下の名前である。天皇陛下の名前の「明仁」から「仁」を取って、それをタイ語で「魚」を意味する「プラー」と組み合わせて「プラーニン」。タイ国王の敬意を感じることができる名である。それに加えて、この魚が日本の天皇に由来している魚であるということをタイの方々が忘れずに、次の世代にも伝えてくれているということである。授業の一環として養殖で扱われるということを紹介したが、その際には必ずこのエピソードに触れられるそうである。他の方のブログでのアンケートでは、質問したタイ人10人中全員がプラーニンを知っており、その中の7人は天皇陛下が寄贈したことを知っていたという。


このような調子で放送中はずっといい気分だったのだが、終了後にこういった美談はなぜ日本でほとんど知られていないのだろうかと考えると途端に嫌になってきた。杉原千畝などはわりと知られていると思うが、もっと探せばいくつも似たような話は出てくるはずである。こうした優れた人物の優れた行動を知ることは、それを学んだ者へひとつの行動モデルを与える。たとえば、この話に感動した人間は発展途上国の栄養改善を目指して学者になるかもしれない。千畝に感動した人間は外交官になりたいと思うかもしれない。こうしたモデルなしに何でもやっていいなどと言われても、やりたい何かが見つかるはずもない。手近にある情報などはどうしようもないものばかりである。テレビを眺めていても、守銭奴か犯罪者かの話か、それでなければ馬鹿ばかしいおしゃべりばかり。そんな環境を用意しておいて、殺人犯にあこがれる若者をどうやって責められよう。

メディアについては、その責任の重さを自覚すべきであろう。メディアはヒーローを作り出す。そして、人はヒーローにあこがれる。とすれば、それを作り出す側としては重大な責任があることを理解していなければならない。多少古いかもしれないが男ならばプロ野球選手、女ならスチュワーデスなどといったような子どもの将来願望モデルは、メディアの扱うイメージに大きく依存している。これらであれば問題ないであろうが、そればかりではない。たとえば西鉄バスジャック事件の犯人が酒鬼薔薇聖斗にあこがれていたように、過剰な報道と取り扱いはしばしば若者をミスリードさせてしまう。であるがゆえに公器としてのメディアは大きな責任が嫁せられており、誰でも参入できるわけでなく免許制になっているはずである。にもかかわらず、その座に甘んじて金稼ぎに精を出すなどというのは言語道断である。

教育の分野からも考えてみよう。先人のヒーロー化とそのモデルの強要をことさらに煽ってきたのが戦前の教育であり、その反動としてそれらへの拒絶反応があるのは理解できなくもない。とはいえ、それをそっくりなくしてしまうのは極端に過ぎるだろう。その内容と方法の取捨選択がされるべきなのであり、それをせずに一方的に反対という調子では、何も進歩していないことと同義である。わたしの意見としては先述の通り、優れた日本人は積極的に紹介されるべきであると考える。たとえば二宮金次郎や西郷どん、新渡戸稲造などであり、そこから得られるものは大きいであろう。それは心の教育などという心理学的な怪しいものをやるよりは、よほど有益であるかと思う。

人間なら誰しも、他の人間に注目を受けたい、評価されたいと思う気持ちはあることだろう。それならば社会としては、そしてまたその準備期間である学校という場においては、そういった願望が正しい方向に(正しいという言い方に抵抗があるのならば「悪くない方向に」でも良いが)発達していくことができるような土壌を用意するべきである。そして、そのひとつの方法として、先人の偉業を知るということは意味のあることであるかと思われる。

どれだけの人間が見たのかは知らないけれども、天皇陛下というヒーローを報道し、そのひとつの行動モデルを与えたという点で、今回の番組は非常にすばらしいものであったと評価することができる。グッジョブ、TBS。放送免許剥奪への署名は現時点では止めておくよ。→ TBS放送免許剥奪署名運動


最後に、話題に興味を持った方に内村鑑三の「代表的日本人」をお勧めしておく。その名の示す通り、代表的日本人として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮という五人の偉人をとりあげ、その生涯を紹介している著書である。もともと海外の読者向けに英語で書かれた文章なので、文章も平易で分かりやすい。読めば歴史の授業などでは名前だけであった偉人たちが、生き生きと甦ることだろう。

なお、今回の記事についてはtrahito68さんによる「タイ☆キング of フリーダム in クルンテープ(バンコク)」内の「陛下のおさかな 『プラーニン』」を一部参考にさせていただきました。

☆本日のコピペのコピペ☆
地元のスポーツ用品店に、バット買いに行った時
俺「あの、ちょっとお尋ねしたいんですけど・・・」
店員「アニメイトなら5階ですよ」

1~4階:スポーツ用品店
5階:アニメイト

ブログランキング参加中。プラーニン、あんまりおいしくはないらしいです…。

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