スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
官僚陰謀論という妄想
たまには大学職員ブログ的な記事を書いてみよう。

文科省天下り 3分の1が私学に再就職


こんなニュースが最近あった。それほど話題にはなっていないようだが、今回はこの件について考えてみたい。とりあえず、どのような反応があるのかということで多少検索してみたところ、以下のようなブログの記事が見つかった。世間一般の捉え方というのは多かれ少なかれ、このようなものなのではないかと思われる。


> 文科省は各種の許認可権限を持っているから、私学、特に新興の私学は文科省のご
> 機嫌をとらなければ、学部の開設やら大学院の開設やらが思うようにできない。このた
> め、しばしばさまざまな名目で文部官僚を迎え入れて文科省とのパイプを強化しようと
> する。
>
> その結果、許認可がスムースに進む。実際、申請のために文科省へ行ったある私大
> 教員から、窓口での対応がまったく違う、という話を聞いたこともある。コネのある大学は
> すんなり申請を受け付けてもらえるが、そうでない大学は、なにかと文句をつけられると
> いうのだ。

http://jonathanswift.seesaa.net/article/126885527.html



上記のようなことが、現象として存在することは事実だろう。すなわち、文科省の職員が出向した大学がすんなり申請を受け付けられて、そうでない大学は文句を付けられるということだ。ただし、それが事実であったとしても、それを天下り先確保のための官僚の謀略だのと言うのはあまりに飛躍しすぎである。
書類には書き方というものがある。それを理解しているかしていないかによって、窓口での対応が異なるのは当然である。元職員がいれば当然自分のやっていたものなのだから、どのように作れば良いかということは熟知している。その結果、誤りのない書類となってすぐに申請が通るというのは何の不思議もないことである。他方、そのような職員がいない場合にはそのような知識がないのだから、ミスの多い書類となってしまうということは想像に難くない。そもそも、文句を付ける側も意味なく文句を付けているわけではない。かくあるべきという形式があるにもかかわらず、それに従わないものを出してきたならば、文句を言わざるを得ないのであろう。本当にその文句が不条理なものであれば、新聞屋にたれ込むなり、ネットの掲示板に書き込むなりすれば良い。そうではなくて、それが愚痴としてのみ流布しているということは、それがその程度のことであったということの証明であろう。
邪推するに、自分の不理解を棚に上げて自己保身に走った発言が、上記のような都市伝説を生んだのだろう。そして、官僚=悪いことをやっているというステレオタイプによって、さも事実であるかのように広まっているというところではないか。こうなってくると、口裂け女やミミズのハンバーガーの話と大差なくなってくる。ついでに言うと、わたしの知る限り、研究費の公募で事務職員が審査過程で口を挟むことができるようなものは存在しない。ほぼすべてのものは審査についての委員会が組織され、研究者、有識者で形成される委員会で審査が進められる。


結局、出向している大学とそれ以外での扱いの違いは、そのノウハウの有無の違いによるところが大きいとわたしは考える。これは便宜を図る云々以前の問題なのだが、現実としてそれさえ出来てない組織が少なくないことから、それを知る人間が価値を持っているというのが実際のところであろう。
様々な事業を運営していてかかってくる問い合わせは非常に多いのだが、その大半はすでに提示している公募要領などの情報を見れば分かる類のものである※。また、事務の不理解というのは、事務上でのフローに支障をきたすだけでは済まない場合もありうる。外部資金の公募で担当者が申請書類を出し忘れて、一機関分丸々、何十人分もの申請が審査を受ける前に散ってしまったという事例をわたしはいくつも聞いたことがある。

※ この問い合わせの対応が中央の職員の勤務時間を奪っているということは、ぜひご理解いただきたいところである(それを何とかしようという問題意識が自分のサイトのひとつのきっかけでもあるわけだが)。これは単純に忙しいから楽をさせやがれ、という意見ではない。一日は24時間しかないのであって、問い合わせ対応で時間を費やすということは、より良い制度設計などに費やす時間が相対的に減るという点で問題だと言いたいのである。


このような状況を考えると、私大にとって、各種制度をよく知る文科省の人間を抱え込むことは有益な面が大きい。それはあくまで能力として役に立つから、ということであり、後ろめたい見返りのためではない。手続き関係での円滑さだけではなく、結果として大型の補助金が付くということもあろうが、それも事務職員としての能力の部分で可能になる面も大きい。先日の国立大学一般職員会議での報告にもあったが、研究者の研究費応募の書類を文科省から出向してきた職員が徹底的にチェックを行うことで、採択数が増えたという事例もある。
そして、そうなるといわゆる天下りが一概に悪いとも言い切れない。世間では天下り、つまり、中央省庁の人間が関連する団体へ再就職することイコール悪という認識が一般的であるが、それ自体が悪いわけではない。「手段」と「目的」を混同してはならないのであって、重要なのは天下りをなくすことではなく、不正をなくすことである。すなわち、不正をなくすということが「目的」であって、天下りをなくすということはその「手段」の一つでしかない。目先の手段に注力するあまり、本来の目的を見失ってしまうというのは往々にしてあることだ。児童売春をなくすために児童ポルノを廃止しようなどの話もまったくこれと同じであって、あまり利口なことではない。何だか全米ライフル協会の弁明のようだが、少なくともこのような考え方も可能だという程度の認識はあっても問題ないだろう。

それが不正の一要因となるのであれば排除すべき、というような意見もあるけれども、これも極端に過ぎる考えである。それが何かしら世間的に良くないことをもたらす可能性のあるものであったとしても、その禁止・廃止はそのものの有益な部分を十分に考慮した上で行われなければならない。毎年1万人前後の方の命を奪う自動車が規制されないのは、その犠牲よりもそれがもたらす便益の方が勝るとされているからである。同様に、天下りを規制するにしても、上記に挙げたような良い面も十分に考慮した上でその判断が為されなければならない。その結果の扱いがクルマになるか、タバコになるかは分からないけれども、今の天下り批判にはそのような要素がそもそも抜け落ちていると言わざるを得ない。


わたしが結局のところ言いたいのは、盲目的な天下り批判だけでは世の中は良くならないということである。今回の件で言えば、文科省からの私大への出向がなくなるということは文科省出向者の職がなくなるということだけでなく、私大での事務の熟練者の不足という事態も招く。それは大学にとっても、文科省にとっても望ましいことではない。また、そこで大量発生する問い合わせとそれへの対応という無駄のツケを払わされるのは国民である。これらの点を考慮すれば、その是非についてもう少し理性ある議論があって然るべきではないかと思われるのである。


最近のニュースで、進化論への批判からアメリカでダーウィンを描いた映画の上映が見送られるというものがあった。言うまでもなく世界中の失笑を買っているわけであるが、日本人はそれを笑うことができるのだろうか。ユダヤ陰謀論さながらの官僚陰謀論は、今も大手新聞・雑誌に当たり前のように掲載され、国民の多くはそれを真実であると信じ込んでいる。ただ、今回多少指摘したとおり、その手の話の大半はわたしの見る限り誇大妄想でしかない。それらの妄想から国民が解放されるのはいつの日なのだろうか。そんな日が早々に来るとは思わないけれども、その何らかの助けとなるべく、自分が見える真実はできる限り書き記そうと思うばかりである。


☆本日のコピペのコピペ☆

19 名前: Mr.名無しさん 投稿日: 2009/07/01(水) 18:03:48
さーくるでういてる・・・


24 名前: Mr.名無しさん 投稿日: 2009/07/01(水) 18:04:26
>>19
UFOかよ
--------------------------------------

    ↓↓↓↓

にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ



スポンサーサイト
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。