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偏向報道と説明責任 「『嘱託』天下り、年収1000万円以上は11人」を考える
独立行政法人への天下り職員について、批判の声があがっている。

「嘱託」天下り、年収1000万円以上は11人
 政府は8日の閣議で、独立行政法人に嘱託職員として天下った官僚OBのうち、1000万円以上の高額報酬を得ている人が7法人で11人いるとする答弁書を決定した。最高額は1326万円。非効率な運営の是正に向けてポストの廃止を含めた見直しを図るとともに、今後はポストの新設も実施しない方針も示した。みんなの党の山内康一衆院議員の質問主意書に答えた。

そもそも嘱託職員とは何だろう、ということで一応Wikipediaで押さえておく。


嘱託職員

嘱託社員は、正社員とは異なる契約によって勤務する準社員の一種。

一般的に定年後も引き続いて会社に所属する人のことを指す場合が多いが、契約社員同様、法的に明確な定義はなく、その用法は会社ごとに異なる。


要するに「正職員とは異なる契約で雇用されている人」ということになる。「用法は会社ごとに異なる」とあるように、派遣職員やアルバイトのような意味合いで使われてもいる。その嘱託職員が今回問題になっているのは、その中で年収1000万以上の者が11人いた、という事実が明るみに出たためである。それがなぜ問題になるのかと言えば、通常、官僚OBが独立行政法人へ役員として出向した場合には給与水準を公表しないといけないのだが、嘱託職員として出向した場合にはその対象とならないため。つまり、天下りを隠すために、嘱託職員という雇用のシステムが使われていたのではないかという疑いがかけられているわけである。

この件については、独法側の雇用のやり方に問題があったことは間違いない。報道によれば、政府はこのようなポストを廃止の方向で検討とのことだが、独法の側は早急に何らかの対策をするべきだ。組織としての自浄能力が試されていると言えよう。本当に組織にとって必要な人材であれば正しい手続きに従って雇用するべきだし、そもそも不要な人材であるのならばこれを機に職を辞すことを促すべきである。

今回の件では雇用の形態が不適切ということで11人の人間が槍玉に挙がっているわけだが、注意しなければならないのは、雇用の形態によってその人間が規定されてしまうわけではないということである。問題のある雇用の形態である人間が、そのまま問題のある人物であるとは言えない。この報道でわたしが危惧するのは、このような取り上げられ方をすることによって、その対象者がステレオタイプな天下り役人のような捉え方をされることである。当人の行動が問題なのであれば、いくらでも批判を受ければ良い。しかし、今回の件で問題だったのはあくまで当人の雇用の形態のみである。それぞれにはそれぞれの経緯があるだろうが、組織にどうしても必要で、このような身分としても雇いたい人材であったとも言えるのではないか。1000万という待遇も、その人間の働きによって決められるべきであって、単に額面だけを見て高いだの安いだのというのは短絡的過ぎる。報道各社はどうせまた新橋界隈の酔っぱらいを捕まえて、その酔っぱらいは報道が求めるような回答を返してくれるのだろうけれども、そんなものは何の意味も為さない。

もちろん、この中には中央省庁から押し付けられた人間へのポストとして存在していたものもあるだろう。朝日新聞の報道は複数の独法職員の声を紹介している。曰わく、「ついにばれたか。隠れ天下りが世間に知られないまま、今までよくもった」。

隠れ天下り「本省から押しつけられた」 独法職員ら証言
 独立行政法人が中央官庁の天下りOBを高給の嘱託職員にしていた問題をめぐり、複数の独法職員らが朝日新聞の取材に対し、人件費削減などの規制を免れた「隠れ天下り」の実態について証言し、「本省から押しつけられたポストだ」などと明かした。専門家は「嘱託以外にも天下りの抜け道は様々ある」と指摘している。

ソースは朝日、ということでその信憑性に疑問符が付くことは良い子の常識であるが、このような人間がいてもおかしくはないだろう。そして、この職員が言うように組織にとって価値のない人間であるならば、この外圧に乗じて排除するというのは悪くない。


不要な人材を排除する一方で、組織にとって必要な人材に対しては直ちに然るべき立場を与えるとともに十分な説明を行うべきだろう。その機会は積極的に持つことはなくともあるはずだ。おそらく、この報道と同様の問い合わせが各法人には寄せられている。その人間が必要なのであれば、通常どのような業務を行っており、どれほど組織に貢献しているかを自信を持って主張すれば良い。

この点、お役所にはまだまだ改善すべき点が多い。こういった場合によくある対応は、だんまりを決め込むことである。役人のマスコミへの不信感は根強い。曲解して報道されることを極端に恐れ、その結果として回答しない、最低限の答えしか返さないという対応が導き出される。事実、役人側の主張がそのまま報道されることはない。今回の報道についての調査でも、対象者が組織にとって不可欠な人間だという声はあっただろう。にもかかわらず、記事になるのは問題のある方だけで、さもそういった人間がすべてであるかのような偏向した報道が行われている。

このようなマスコミの品性の下劣さなどはわざわざ繰り返す必要もない。報道は所詮商品であり、扇情的になることは仕方ない。本質的に報道とはそういうものなのであり、そんなことに拘泥しているようでは生産的ではない。この厄介者とうまく付き合う方法を考える方が得策だろう。実際、マスコミが国民へ情報を提供するための数少ない手段であることは事実である。となれば、そのマスコミに対して言うべきことを言うことは公務を預かる者として当然の責務である。自分が正しいと考えるのならば、できる限り正しい手段でもってその正しさを主張するべきだろう。何も喋らないということでは、世間の風評をそのまま肯定したと捉えられても仕方ない。

マスコミも人間である。多少思い込みが強すぎるところはあるにせよ、日本をより良くしたいという気持ちがないわけではない(はず)。そして、役所の方も大部分はお国のために奉仕したいという思いを胸に抱いて職務に全うしている(と信じたい)。であるならば、相互の目指すところは同じであり、現実として生じているすれ違いは結局のところ、相互の不理解による。それをもたらしているのは、マスコミの方では偏向的、独善的な報道、役所の方では数々の不始末とそれに対する説明不足。偏向報道になるからこそ説明不足になる。説明不足になるからこそ偏向報道となる。これはお互いに問題があるのであって、どちらか一方が正しくて、どちらかが間違っているというような話ではない。

この相互不理解を解決し得るのは説明である。正しい情報を積極的に提供することである。これですべてが解決するわけではないけれども、これ以外で解決する術などはない。それは必ずしもマスコミを通す必要はない。報道ベースでは正しい声が伝わらないというのであれば、ホームページに声明を掲載するなり、You tubeで映像を流すなりすれば良い。メディアは何にせよ、正しい情報提供なくして、マスコミによる正しい報道はあり得ないし、国民の正しい理解も成り立たない。

根強い公務員批判の根底にあるのは、彼らが何をしているのか分からないという不信感である。これは過去からの説明不足の蓄積により醸成されてきたものであって一朝一夕で解決できる問題ではない。けれども、これに取り組まなければ役人が信用を得られる日も訪れることはない。そして、その信用がなければ公務員批判の声が止むことはないし、それは公的な業務の遂行にも支障をきたすことになる。今こそ、正しいことは正しいとして積極的に声を上げていく姿勢が求められているように思われる。


最後に体験談。わたしも過去にこのような取材を受けたことがある。突然マイクを向けられれば当然緊張する。いっそのこと、逃げてしまいたいという衝動にも駆られたのも事実である。けれども、その瞬間に考えたのは今回書いてきたように、正しい情報の提供なくして正しい報道もあり得ないということであった。マスコミの報道は一方的で、物事の本質を捉えていなかった。その取材は、その誤りを正すための機会と考えたわけである。緊張のあまり、何を喋ったのかという記憶もあいまいだが、その件は幸いなことに大きな問題になることはなかった。それが自分のおかげという言うつもりはないけれども、最低限の説明責任を果たすことが出来たのではないかと自負している。



☆本日のコピペのコピペ☆

403 名前:おさかなくわえた名無しさん 2008/01/19(土) 04:45:17 ID:9SDaW9sG

昔電車に乗っていたとき
5歳と3歳くらいの男の子の兄弟が、父親と一緒に乗車していた。
兄の方は楽しげにドラえもんの歌を歌っていた。

兄「そーらを自由に、とーびたーいな~♪」

兄弟「だめだッ!!あきらめろっ!!」

2人同時の幼児とは思えない台詞の演技力に
思わず笑ってしまった。
父親の「なんだよそれ…」という脱力しきったツッコミにもまた笑いが…。
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事業仕分けと説明責任
大学関係者は胸をなで下ろしたことだろう。めでたく、国立大学運営費交付金はさらなる予算減を免れそうである。大学職員関係のブログはそこそこあるような気がするのだけれども、それほど話題にもなっていない気がするのは気のせいか。

国立大運営費交付金・奨学金、予算減を回避


 行政刷新会議の事業仕分けでは「廃止」「予算削減」という判断が続いたが、第2弾で25日に議論された国立大学の運営費交付金、義務教育費国庫負担金と いった項目については理解を示す発言が相次ぎ、予算を減らすという判断は回避された。民主党はマニフェストで教員の人数や教育予算の拡充をうたっており、 こうした教育行政の根幹の部分については守っていこうという姿勢が見てとれる。



もっとも、このニュースは25日の事業仕分けの振り返りの記事であって、それが正式に決定されたという報道ではない。国立大学法人の悲願である運営費交付金1%減の政策が取りやめになるといったことが書いてあるわけでもない。とはいえ、予算縮減が当たり前の事業仕分けの場で、具体的な予算減の話をされなかったということは大きな成果だろう。この記事にあるように、民主党はマニフェストで教育予算の拡充をうたっている(ウラに日教組が控えていて、彼らの反対する全国学力テストは削減されたけどね!)。枝野氏は以下のように、助け船とも言える発言もしている。

 枝野氏が「お金にならない研究がどんどん駄目になる。どう考えるのか」と尋ねると、文科省幹部は「もう限界」。一方の財務省側が「競争的環境の中で優秀 な研究者が資金を得る部分については伸ばしている」と述べると、枝野氏は「科学技術ほどの大きなお金を芸術、文学、哲学に出しているの?」。文科省に対し ても「守りの姿勢だけで問題を解決できると思っているんですか」と語気を強めた。

最後の部分は実に的を射たものと思われる。結果として、現在大学運営費交付金は毎年1%削減されているし、研究開発経費は一向に低い水準のままであるが、省庁間の折衝に敗北し、これらの度重なる予算削減を受け入れているのは他でもない文科省である。前回の記事の最後の方で、研究者の側での学問の大切さ、価値などを広く伝える努力が足りなかったのではないかということを述べたが、それは同様に文科省にも言えることである。事業仕分けでのさまざまな事業の縮減という決定も、役人の説明能力の欠如という面が非常に強い。

特集ワイド:白熱の事業仕分け 生き生き仕分け人/手震え涙の自衛官/失笑する傍聴者

 省庁担当者のプレゼンテーション能力も判定に大きく影響しているようだ。紙に目を落としながらボソボソと口ごもる人あり、理路整然と説明する人あり。枝 野さんは記者会見で「行政依存の政治が続いてきた中で、責任者がプレゼン能力を持っていなかったことが明らかになった。これが今回の意義。官僚のみなさん に一種のカルチャーショックを与えたかもしれませんが、私はそれ自体が事業仕分けの意義だと思います」と説明した。


プレゼン能力というのは、中身のない技術である。これは説明する対象を実物以上に飾り立てるような能力であって、それ自体が実物を本質的にすばらしくするものではない。いわば、化粧の技術と同じようなものである。論語の一説で、四字熟語として知られているように、日本には「巧言令色」なる言葉が残っている。「口のうまい奴で誠実な人間はほとんどいない」という意味だ。よって、口のうまい人間が無条件で賞賛されるわけではなく、そうあるべきだという動機付けも希薄である。
けれども、それは科学技術にこそ必要なものではないか。関係者は口をそろえて言う。基礎研究は成果が出るのに時間がかかるが、そういった地道な研究が日本の産業を支えている。だから、短期的な視野で予算を削減することは未来の日本の発展を妨げることになる。これは結構なことだが、であるならばたとえば過去にどれだけの成果があって、どのような利益がもたらされたのかという情報を用意し、広報していく仕組みを作るべきではないか。もちろん、過去の実績が必ずしも未来への期待につながるわけではない。しかし、実際はそうであったとしても人間の感情としては実績があればより大きな期待を持つことができる(だから有名な宝くじ売り場では行列ができるのだろう)。研究の成果が時として大きな利益をもたらすことは、青色LEDの開発の顛末を見ると分かりやすい。開発元の日亜化学は10年間で総売り上げが200億から1200億と6倍になり、徳島の一私企業はLEDの世界トップ企業となった。

青の奇跡――日亜化学はいかにして世界一になったか


日本という国が、これから緩やかに衰退していくということは間違いない。そうなれば国家予算も身の丈に合わせて縮小して行かざるを得ない。その縮小の中で科学技術関係の予算を維持・拡大していくにはこういった努力が不可欠である。国の事業について、必要か不要かなどという議論があるけれども、不要な事業などない。動物しか通らない高速道路も、その土地の土建屋にとっては必要なものである。要はそれが誰にとってどれほど必要とされているかということであり、要求する側としてはそれがどれだけ必要か、どれだけ価値のあるものなのかというところを主張していかねばならない。この点からすると、事業仕分けは中央省庁の偉い役人に実に良い刺激になったのではないだろうか。


☆本日のコピペのコピペ☆

57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/27(金) 08:02:07.99 ID:Ij0XNfEjO
>>49
蓮舫「すいません、メンバーの稼働率はどれくらいでしょうか?」

EXILE「10%前後です。
    但しチューチュートレイン日は100%になります」


64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/27(金) 08:14:51.54 ID:xMpD4BY3O
蓮舫「時間給の要員を増やして経費削減できないんですか?」

EXILE「増やす・増やさないはファンの意向を
    確認しないといけないと思います」


88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/27(金) 08:39:33.27 ID:HXT33MtrO
蓮舫「チューチュートレインの必要性について」

EXILE「チューチュートレインは日本のときめきを運ぶもので、
    今は少し赤字ですが、乗車率はもうすぐ倍増予定で……」
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「チューチュー」は英語圏での機関車の擬音表現だよクリック!

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