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始まりの日
他のブログでこれまで書いていたが、新しく始めてみた。以前のものでは色々と書きたいことを推敲しすぎて書き進まず、更新する日の方が少ないような状態であった。それはそれで意義はあるかもしれないとはいえ、ブログの即時性というメリットをあまりに犠牲にしたものであった。この反省をもとに、こっちの方では日ごろの身の回りの出来事、考えたことなどを紹介していくつもりである。

さて、今日は8月15日である。小泉は靖国についに参拝。というか、あれだけ周りが騒いでいれば、行くつもりでなくとも「ここまで言われたら行くしかねぇ!」となるのも頷ける。わたしとしては、なぜこれほどまでに反対が起こるのか理解できない。これについて、少しばかり論考をしてみたい。
反対論者はA級戦犯が問題だと言う。しかし賢明な方なら知っておられるように、そもそもあの場所にはもうA級戦犯などいない。今もその正当性が疑われている東京裁判において、それらの人々は死を持って罪を償った。さらに、その後には4000万人の署名という圧倒的な国民の意思で持って、戦犯者の権威回復が叫ばれ、それは1953年の遺族援護法の改正という形で結実する。旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は、日本の国内法では罪人と見なさないという判断基準が明確に示され、遺族に対し年金と弔慰金が支給されることとなった。これは与野党関係なく、全会一致で可決されている。こうして後の1978年、いわゆるA級戦犯は靖国神社に合祀されることになるのである。

このように、当時の国民の圧倒的支持があったということをまず理解しておかなければならない。それは日本国民の大多数が望むところであったのである。それが気に食わないのは、中国韓国である。そして、反対論のもう一つの主流は中国韓国との政情悪化である。しかし、これを理解することはできない。それは、彼らの主張が極めて政治的意図を持つものであるということ、そして死生観の違いに由来するものであると考えられるためである。
まず、その政治的意図についてだが、これについてはようやく知られるようになってきた。広い中国をまとめるために共通の敵を作る、それが徹底的な反日教育の理由であった。また、過去の侵略という古傷を持ち出すことによって、さらにそれを未解決の問題として常に争点化させておくことで、日本側から譲歩を引き出す手段としていた。であるからこの問題が問題として残り続けることが彼らの目的であり、相手の要求をいくら飲もうとも、根本的な解決に向かうことなどは不可能なのである。

もう一つ、相容れないことの大きな原因と考えられるのは、死生観ではないか。死んだらみんな仏になる、というのが日本人の感覚であるように思う。どんなに現役のときには叩かれていた総理大臣だって、死んでしまえば何かしらいいところが報道されてしまうのが日本である。いくら売国奴であろうとも、1000年近く前の人物の像に唾を吐きかける習慣があるような国民の感覚と相容れることはできないのが当然であり、相互理解などは望むことなど不可能に近い。

こうした理由がある以上、分かり合うことは不可能であろう。その点から考えれば、今回の参拝をわたしは評価する。反対をしたにもかかわらず参拝を行ったことで、批判は中国韓国政府にも及ぶと考えられるためである。今後も同様のことが続くとすれば、政治的利用の価値はなくなることになる。つまり、中韓の反対する理由のひとつは消滅するということである。死生観の違いについて、共有することは容易ではない。それには根気強い対話が必要になってこよう。


本日8月15日は日本が戦争に敗れ、新たな道を歩み出した始まりの日であった。いい加減に媚びへつらうのを止めて、新たな関係の始まりの日となるように祈るばかりである。


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