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ファミレスとスーパー・後編
前回、前々回からの続きの一応完結編?です。

その最大の理由は、国民のより豊かな生活のためである。現状を見ると、日本は不況を脱しつつある。しかし、そこで目指しているのは再び経済発展の道である。わたしはこれに疑問を感じざるを得ないのだ。もちろん、それによって世界に冠たる豊かさを享受できていることは間違いない。けれども、これ以上の経済発展がすべての国民に幸福をもたらすとは限らない。雇用者をめぐる環境はこれまでにないほどに悪化してきている。よく言われるように、正規雇用者を減らしてアルバイト・契約社員を使用することで成り立っているのが今の成長である。それは今の発展に組み込まれた形態であり、この発展が進むほどにその格差は広がるばかりで、いわゆる勝ち組と負け組を生み出す構造になってしまっている。
その代わりとして、わたしの主張するのが政治の発展なのである。政治とは、統治組織の活動内容に関して利害関係者間で行われる調整や交渉等の活動、またそのような活動によって構成される過程を指す(Wikipediaより)。言うなればそれは国民全体から集められた税金をどのように使うかということであり、それは最低限の生活を維持するためのインフラ、社会保障制度などを整備する、再分配の方法である。この部分の機能がこれまで十分に働いてきたと考える人間はいないだろう。政府の仕事と言えば非効率と相場が決まっている。この部分を発展させることで、さらなる経済成長を望まずとも国民の生活は豊かになるのではないか。このように考えるのである。先述のように、国民の政治参加はあまりにもなおざりにされてきた。けれども、それだけに十分に発展可能性がある。

そのために国民のするべきことは、まず厳しい目で政治家を監視することである。商品がどのように作られるかをもう一度思い出していただきたい。消費者と生産者との綱引きによってこそ、良い商品は生まれる。消費者の側がその質に注意を払うことによって初めて、生産者はその質を高めざるを得なくなる。国民がどの政治家がどのようなことを主張しているのかを知り、その優れた者が選択されることにより、徐々にこれまでのような「地元に利権を持ってくることができるかどうか」、という能力でなく、政治家としての実務能力が争点となるようになるであろう。
それだけでは十分でない。一人一人が自ら考え、自らの意見を持つことが求められる。それは意味のある批判を行うために不可欠である。批判ならば誰でもできる。そして、それは何の意味も為さない。明確なビジョンなしに批判するということは、計画もなしにのこぎりやハンマーを振るうようなものだ。自分が一人の政治家となったならばどのように行動するか、という視点から考える。そして、その意見を選挙の場において投票という形で表す。これがまっとうな国民の政治へのかかわり方であろう。


さて、三回に渡って色々と述べてきた。自分の考えているところのコア部分をおぼろげながらも書くことができ、わたしの立ち位置というものが何となくでも理解できたかと思う。わたしの主張でよく聞くものと異なっているのは今回書いた中で言えば、既存のメディア批判とインターネット擁護、政府=権力=悪でなく、その責任はそれに直接的にせよ間接的にせよ賛同してきた国民の側にあると考えている点であろうか。ずいぶんと走り書きしてきたので、細かな点については触れられていない。それらは暇なときにでも読み直して、気付いたときに随時補足していきたい。何を言っているのか分からない点も多々あったと思われるので、その点はお聞かせ願えれば光栄である。

世界のさまざまな国家と同様に日本はさまざまな失敗を経て、国民主権というそれなりに望ましい統治の手法を手に入れた。それは独裁者による圧政から開放したが、その運営・維持は国民の政治参加を前提としている。それは現在のシステム上、仕方のないことである。それを望まぬならば独裁者の擁立、つまり幕府でも開いて将軍様に独裁政権を築いてもらうか、もしくは王政復古で天皇親政の道しかあるまい。それを望まないのであれば、自分の身の回りのことばかりでなく、一人の国民として社会のこと政治のことにも関心を持つ必要がある。一人一人のその心がけによって、ひとつの国は支えられているのである。福沢は「愚民の上に苛(から)き政府あれば、良民の上には良き政府ある」という言葉を残している。要するに国民が愚かであれば政府は強権的な統治をせざるを得ない(注1)が、国民が賢くなれば政府もまた賢くなり、より良い政府が生まれるということである。つまるところ、良い政府を望むのならば、国民が学ばなければならないということである。最初に述べたように、若者を中心にその兆候は見られる。こうした声が世の多数派となり、この声に反映された政治家が現れるとき、日本は変わることができるとわたしは信じている。そして、これからの若者に大きな期待をしている。

(注1)
当時としては統治者に責任感があったためであろう、国民が愚かであれば強権的な統治をせざるを得ないと彼は述べている。今は大衆迎合で無責任な統治者が多いためか、国民の愚かさが政治家に伝播しており「愚民の上に愚政府あり」の状況である。この点は現代と多少状況が異なっている。ちなみにこの言葉は「学問のすすめ」の初編より引用。

☆本日のコピペのコピペ☆
633 名前:C.N.:名無したん [sage] 投稿日:2006/05/08(月) 08:08:36 ID:
ポッキーゲームってポッキーを右の鼻の穴から入れて
左の鼻の穴から出すっていうアレ?

634 名前:C.N.:名無したん [sage] 投稿日:2006/05/08(月) 10:28:56 ID:
>>633
お前今までそんなポッキーゲームしてたのか。

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