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黒船来航、クールビズ
新しい職場はクールビズらしい。以前の大学説明会での一節から、ふとそんなことを思い出した。クールビズというと、ノーネクタイ・ノージャケットであることを想像しがちであるが、実際には具体的な衣装を定義するものではないようだ。「事務所衛生基準規則を出所とした摂氏28度という温度設定の中でも涼しく効率的に働くことが出来るような軽装全般を指していて、それが満たされる衣服であればよいとされている」(wikipedia)そうである。とは言え結局のところは、これまでのようなスーツにネクタイという格好ができなくなることと言って差し支えはあるまい。その最大の目的はCO2の削減。できる限り薄着をすることによって、冷房の設定温度を下げてCO2排出を減らそうということである。環境省の調査によると「例年より冷房温度を高く設定している」という回答は全体の32,7%にのぼり、それなりの効果はあったようだ。かつ、その名前自体が流行語となることで、多くの人々が環境に対する関心を持たせたという点の功績も見逃せない。ただし、衣類買い替えの需要などによる経済活動により、削減量は相殺されるという見方もあるようだ。
こんなクールビズであるが、その一番の目的、つまりCO2排出削減で話題になったという点のみから注目を受けていたわけではない。むしろ、こちらの点からの捉え方の方が多かったのではないか。それは、これまでのサラリーマン男性のファッション概念を根底から覆したという点である。

高校から大学になって、毎日のファッションが面倒と感じたことはないだろうか。制服というのは楽である。今日は何を着よう、明日は何を着ようなどと考える必要がないからである。サラリーマンはこれまでシャツにネクタイで、フォーマルな場では上着まで着るというのが鉄則であった。リクルートスタイルもそれに準じている。それは面倒だし暑いとも考えられるが、逆に考えればその格好をしていれば「ちゃんとしている」と認識されるという点で楽なのである。そのように見られるのには、何の努力も必要ない。どんな安物のスーツに安いネクタイをしても、それなりに見えてしまう。特にネクタイは、それ一本締めていればそれなりにフォーマルに見えてしまうから不思議なものである。これら定番の格好というものがきっちり決まっていたため、これまでのサラリーマンはファッションについて何も考える必要がなかった。仕事のときにはネクタイをして、アフターファイブには外し、酔いが回ればアタマに巻く。これが基本であった。

しかしこの平和な時代は、クールビズという黒船のために一気に崩壊することになる。頼みの綱であったネクタイと上着を奪われ、シャツ一丁で勝負することを余儀なくされるようになったのだ。これまでだらしないとされていた格好を、他の助けを借りずにだらしなくないように見せる努力を課せられたわけである。スーツとネクタイに慣れてしまった彼らに、かっこよく見せる能力というのは皆無である。彼らとて思春期の頃はそれなりに着飾っていたに違いない。しかし、日々の激務に追われていつの間にか洒落っ気などどこかになくしてしまい、気が付けば着ているものはプライベートまで含めて妻の買ったもの、というのが現実ではないか。これは、それまで世界トップレベルにあったにもかかわらず、太平の世になってすっかり廃れてしまった鉄砲のようなものだ。そもそもノーネクタイ=だらしないとして反発するという発想が情けなくはないだろうか。社会の慣行もあろうが、自分たちの格好はネクタイなしではだらしないのだと自ら宣言しているようなものではないか。

先日の奴隷の話と被る部分もあるが、考えないということは楽なのである。思い悩む必要などなく、単に規則や主人に従っていればそれで良いとされるのである。自由というと聞こえは良いが、そうすると自分で何でも考える必要がある。これという一つの何か、スーツにネクタイのようなものがある場合、それをまとってさえいれば誰も文句は言わない。しかしそれがない場合、もしくは許されない場合、あれこれとその場所に合わせて毎度毎度コーディネイトを考える必要が出てくる。端的に言うと、自由であるということは不自由である。つまり、ある点において際限なく自由であると言うことは、それについて選択などに時間等を費やさざるを得なくなってしまうことになり、その結果としてそれ以外の部分、そして全体的には不自由になってしまうということである。

このクールビズ、公務員職の場合にはかなり広まっているようであるが、民間企業の場合は相手の理解が必要であるためスムーズには行っていないようだ。しかし、これが受け入れられるようになることは、環境への配慮という点以上にサラリーマンの心の持ちようという点から重要なことであると思う。日本人の仕事馬鹿っぷりは世界レベルで認知されているが、愚直になんでもまじめにやっていればそれで良いという時代は過ぎた。もちろんそれは今後も大切にしていくべき価値観ではあるが、そればかりではなく仕事以外のものにも目を向けなければならない。それは何も最近の拝金主義や「ちょいワル親父」などの軽薄な風潮を安易に肯定するものではない。わたしがこのように主張するのは、彼らの度を越えた仕事以外のものへの興味のなさ、その根底にある奴隷的精神とその弊害を憂うがゆえであり、別のものに関心を持たざるを得なくなるということが同時にそれ以外の部分、たとえば社会への無関心という問題などに何らかのインパクトを与えてくれればと考えるためである。ファッションへの関心がそれ以外の社会の動向などへの関心、ひいては政治などに対する関心に発展していってくれれば言うことはない。まぁ、そううまくはいかないのだろうが、千里の道も一歩からである。


ところで、かく言うわたしもこれまで制服の恩恵に甘んじていた者の一人である。中学・高校のときなどは、一旦帰宅した後でも近くの本屋などに外出するときには制服で出掛けていたほどである。よって、今回クールビズと対峙するにあたって一体どのようにコーディネイトすれば良いのか皆目見当が付かず、色々とネットで調べる羽目になった。そんな中で発見した或るブログのこんな一言で今回の文章を締めくくりたい。

「当サイトに来る人は、クールビズの着こなし情報を、(´Д`)こんな顔で必死に探してきていることから、悩みの度合いが分かりますね~」

はい、悩んでおります(´Д`)


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☆本日のコピペのコピペ☆
768 名前:名無し職人 メール:sage 投稿日:2005/11/29(火) 00:56:41
喫茶店で「明日があるさ」が流れたとき
「明日なんてねぇよ!」と怒鳴って店を出て消息を絶ったY課長。
娘さんが結婚しましたよ。
今どこにいるのか知りませんが祝ってあげてください。

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Comment
≪この記事へのコメント≫
知人の銀行員なんかは、土日の祝日出勤ですら、軽装はゆるされないそうです。スーツにネクタイ。 まったく堅苦しい会社もあるもんですね~
http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/
2006/09/26(火) 09:53:00 | URL | イメージ #-[ 編集]
コメントありがとうございます!銀行などは信用第一で軽装なんてできないんでしょうね。しかし最大の目的はCO2削減で、そのためには遅かれ早かれ変わっていかないといけないように思います。銀行っていつも冷房ガンガンですもん。価値観が変わるには時間がまだまだかかるんでしょうね。
2006/09/27(水) 10:01:43 | URL | Hoz #-[ 編集]
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