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大きく考え、小さく動く。
ご覧の通り、タイトルを変えました。職を得た今、「新卒フリーターの憂鬱」なんて辛気臭いタイトルをいつまでも掲げる必要はないというのが最大の理由である。新しいタイトルは「大きく考え、小さく動く~Think globally, act locally」。以前のブログをご覧になっていた方は頭の片隅に残っているかもしれない。以下、転載。

自分の好きな言葉に「Think globally, act locally」(1)というものがあります。「地球規模で考え、身近なところで行動せよ」とでもなるのでしょうか。たとえば世界平和なんて大きな目標を 持っていても、それを普通の人間がそのまま実現させることなど不可能です。目標は大きく持ちつつも、行動は身近なところから始めるべきであるということを この言葉は教えています。(親切についての考察from「溢れ出す!!!煮汁。」

まぁ何というか、リンクを貼るときに以前書いたものを読み返したが、以前に書いたものを読むのは恥ずかしい。その恥ずかしさが成長したという証なのだろうが。とりあえず言わんとすることは分かるかと思う。何らかの問題に対して、考えるという段階においては地球規模でそれを捉えることが大切だが、実際の行動については身近なところから行うべき、ということである。元々の言葉は小学校の調べ学習で使用した環境問題のパンフにあったものであり、環境問題をその対象としている。しかし、対象はそれだけにとどまらないとわたしは考えている。

たとえば平和というものについて。戦争ビジネスにどっぷり漬かった連中はさておき、普通の人間が平和を望まぬわけがない。幸運なことに、日本は長いあいだ平和が保たれている。しかし、世界に目をやれば戦争状態にある国もあれば、独裁政権に支配されている国もある。現在わたしたちがテレビを見たりしている間にも、それらの人々は苦しめられ死に追いやられている。となれば自分ばかりではなく平和というものがそれを望むすべての人間に行き渡るようにするためには、日本という狭い括りのみで考えるのではなく、世界規模で平和というものについて考えていく必要がある。つまり、「大きく考える」必要がある。

では、そのために何をするべきか。何が出来るのか。と考えてみると、大多数の人間は何も出来ないことに気付く。あなたはアメリカの暴走を止められるか、あなたは金正日政権を倒すことができるか。それは不可能である。それらがいかに世界の平和を乱していようとも、民衆がそれに対抗することはできない。一人一人の人間の持つ力はあまりに弱弱しい。大多数の人間にとって、「大きく動く」ことは不可能である。
「大きく動く」ように見せかけて、自己満足に浸ることは可能であり、その毒に負けている人間は少なくない。自らの身の丈も知らずに、大壇上から天下国家を論じるか空想的平和主義を唱えるか。その違いこそあれ一種のカラオケボックス、セルフバーニング。それが若い世代の気の迷いならばまだ理解できるのだが、大の大人がそんなことをやっているのだから恐れ入る。日本人の民度、ここにありと言ったところか。そこに大きく欠けているのは、現実に根ざしたビジョンである。双方お互いにあるべき理想をただ並べ連ねるのみ、それと比して現実を語るものだから現実は常に批判の対象となり、貧相になるばかりである。たとえばグラビアアイドルやら映画俳優やらの写真を持ってきて、そうなってくれと懇願したところで面食らうのが当然だろう。彼らの言動はそれがスウェーデンだったり戦前日本だったりということでしかない。


そんなものではなくて、わたしが提唱するのは「小さく動く」こと。わたしたちは、「小さく動く」権利については与えられている。それは選挙である。わたしたちは、その属する国の行く末を選択する機会を与えられている。選挙はその国の多数派が支持する政策、政党を選び、今後の国家の方針を定めるものである。一人に与えられるのはたったの一票であるが、それによって一人一人が自分の望むものを平等に主張することが可能となる。そして相対的多数の支持を受けた者たちが政府を形成し、国民の意向に沿って政府が「大きく動く」ことになる。国民の望んだものである。

そのメカニズムがうまく働いていないのは事実だが、それを政治家に帰属させるのは大きな間違いである。政治家は何もなしに政治家として存在できるわけではない。選挙における国民の信任を受けて初めて政治家となるのであり、いわば政治家は国民の民度の結果である。たとえば政治家をスパゲッティだとすると、それを作る料理人が国民ということである。国民の選択を媒介する形以外で政治家が生まれることは基本的にあり得ない。そう、それは勝手に乾麺が茹で上がらないようなものだ。そして、その出来が満足の行くものでないということは、結局料理人の腕の問題である。にもかかわらず、皿に盛り付けられた料理に対して延々と文句を並べ立てるという、まことに愚かなことが現実には起こっている。

また、「小さく動く」ということは、日々の生活の中で一人の人間としても行うことが可能である。平和というものは普段の生活と切っても切り離すことはできない。これについては以前にも述べている。一人の心の平和がその周囲の心の平和を生むということについては実感があるだろう。であるならば同様にして、それはさらに国家規模でも広まりうるものであるとわたしは信じる。日ごろの生活の何気ない気遣いが自分の心の平和となり、かつその周囲の平和となり、ひいては日本、さらには世界の平和になる。それが簡単に可能であるとは思わないが、それなくして平和などというのは絶対にあり得ない。

これらはいずれにしても「小さく動く」の名に恥じず、その影響は微々たるものである。しかし、世界はその微々たるもの、つまり一人一人の人間により構成されている。国家は個人の総体であり、その集合である世界もまた同様である。となれば、その微々たるものによってしか変化は起こりえないのではないか。その微々たるものの変化こそが軽薄なブームによるものではない、本質的な変化をもたらすことができるのではないか。このようにわたしは考えるのだ。


ずいぶんとまとまりのないゴタゴタを書き連ねてきたけれども、これがわたしのこのタイトルに込める意味である。遠くの理想を見据えつつも現実と目の前の生活からも目を背けずに生きること。わたしはこのスタイルを提唱する。そして、それがこのブログのテーマである。


さて、ずいぶんと間の空いた更新となった。いつもどおりのサボり癖が出てしまったようだ。ただ、忙しかったということもある。もう少しで仕事はひと段落して通常公務員レベルになりそうなので、今後はもう少しスピードアップができそうである。また、今後は今回のような長文でない時事ネタも盛り込んでいきたいと思う。ネタはいくらでも転がっているのだから、週に2,3回の更新を目標としたいものである。わざわざこの駄文をここまで読んでいただきありがとうございました。


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☆本日のコピペのコピペ☆
580 異邦人さん 2006/01/08(日) 00:44:07 ID:rRcXq5NN
アメリカ人に
日本人がとても好む食べ物だが
日本で一番危険な食べ物で
これを食べて毎年何人かが死んでる
って
餅を勧めたらびびってた

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