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新聞の大革命 ~産経NetViewの衝撃
数日前、とんでもないものを発見した。それは自分にとってまさに革命と呼ぶにふさわしい出来事であった。わたしが長年夢見ていたようなサービスを、偶然にも発見したのである。そのサービスとは、ネット上で新聞が読めるというものである。

ネット上にはさまざまな情報が散在している。そして、その中には新聞社系のニュースも多数存在している。しかし、ネット上のそれらは、少なくとも自分としては従来型の新聞に劣るものでしかなかった。これには大きく分けて二点ある。第一には記事の内容が薄いという点。ネット上のニュースというのは、ひとつの記事当たりの内容が少ない場合が多い。これは、消費者が無料で手に入るネット上の情報で満足してしまわぬように、メディア側が意図的に行っていることである。もっと詳しい情報を見たい人は、ちゃんと本物の新聞を購読してくださいねというわけだ。そのために、一読しただけではあまりピンと来ないものが少なくない。二番目に、情報がまとまっていないという点。ネットの優位な点と言えばその即応性にあるのだが、絶えずアップデートされるおかげで一日の内容がまとまっているとは到底言いがたい。ニュースは雑然と並べられており、それがいつの情報なのかは分かりにくい。また、絶え間なく情報がリンクしているために終わりがない。かつ、それぞれの情報はほぼ同じようなレイアウトで並べられるので、記事の重要性も分かりにくい。実際の新聞であれば、文字の大小で何となくそれが重要なことなのかそうでもないのかということが直感的に理解できる。そういったことがネットのニュースでは難しいのだ。(ただしこの手法については、意図的にある情報を重要なものと見せかけたり逆に些細な問題に見せかけたりするなど、新聞社の恣意的な情報操作に利用されるという危険性も持っている。そしてそれは実際にこれまで使用されてきたものである。)

こういうわけでネットのニュースでは物足りないので、わたしは新生活が始まってからも新聞を取り続けていた。情報収集源としては、上記のように新聞はネットのニュースよりも優れている。けれども、もちろん新聞にも問題がないわけではない。第一に、情報を保存しにくいという点。新聞をスクラップなどというのはよく聞く話であるが、そんなものは面倒臭くてできたものではない。切り取って糊で紙に貼り付けるなんて、そんなことに時間を費やすほどわたしは暇でない。ネット上のニュースであれば、ページの保存をすればそれで終わりである。しかも、一度保存してしまえば劣化する心配も、なくしてしまう心配も不要であるし、場所も占有しない。次に、形状の問題から読みにくいという点。どうして新聞はいつまでもあのサイズのままなのだろう。この世にあのサイズの読み物が他にあるだろうか。ない。なぜかと言えば、あのサイズでは読みづらいからだろう。擁護派は情報の一覧性が云々とのたまうが冗談ではない。ひとつひとつの記事があの広い一面丸々を使っているのならばそういった物言いも可能かもしれないが、そんな記事はほとんどない。大半の記事は今の半分もあれば十分なはずである。このいわゆるタブロイド版にすれば、どれだけ読みやすいことだろうか。第三に、読み終わった後の処理が面倒である。当たり前であるが毎日毎日配達されるのだから、昨日の新聞はたちまちゴミに変わっていく。そして、それが一ヶ月も溜まればかなりの量になる。月に一回、回収の日はあるけれども、それを逃すと溜まる量は二ヶ月分。確実にスペースを占有されるし、部屋が散らかる原因ともなる。


このように、わたしは新聞を取りつつもそれに十分満足することもできず、何か良い別の情報収集の手段はないものかと常々思い続けてきた。そんな中、その大方の理想を実現したのが今回見つけたサービスである。ずいぶんと枕が長かったような気がするが、そのサービスとは「産経NetView」である。このサービスは何とも単純明快である。その内容とは、新聞の紙面をそのままの形でネット回線を通して見られる、というもの。以上。
実に単純かつ安易と思われがちなサービスながら、その破壊力は計り知れない。それは、わたしの上記のネットのニュースと実際の新聞に対する不満の大部分を粉砕するものであった。まずはそれが新聞であるという点。ネット上で配信されるとはいえ、そのものは通常の新聞の紙面であるから、ネットのニュースのような物足りなさ、まとまりのなさがない。そしてこちらが非常に重要なことなのだが、電子的なデータとして配信されることでネットメディアの利点を持つようになるという点。その利点とは、簡単に記事をファイルとして保存できるようになるということ。ただ、元々のサービスとしては記事の保存はできない。このサービスはあくまでウェブブラウザ(Internet Explorerなど)で見るだけのサービスであり、それが何かの形式のファイルとして送られてくるというものではないからだ。そのため、その日の新聞の閲覧は基本的にその日限りである。(一週間見られるコースも最近できた。自分の加入したのもこっちの方。)
しかし、そこにはひとつの抜け道がある。印刷は可能なのである。しかも、ひとつひとつの記事単位での印刷が可能である。ただ、それを単に紙に印刷したのでは何の意味もない。それをプリントアウトして糊付けするのならばスクラップと何も変わらない。それではどうするのか。賢明なあなたはもうご存知かもしれないが、PDFファイルにしてしまうのである。PDF作成ソフトは本家のアドビシステムズ純正品を買おうとなると天井なしに高いが、いろいろと探せばフリーソフトでも手に入る。わたしが現在使っているのはPDFcreater(配布先のサイトへ)。使用言語がすべて英語ではあるが、一切フリーで使用可能な代物である。これをインストールすると、このソフトがパソコン上でプリンタのひとつとして認識されるようになる。その後で「印刷」を選択して、このソフトで印刷を実行すると紙が印刷される代わりにPDFファイルが作成される。かくして簡単かつすばやく、面白かった新聞記事をスクラップすることが可能になる。これぞ、わが積年の望みが成就した瞬間であった。


現在、すでにわたしはこの産経NetViewの会員である。昨日登録を済ませ、これまで取っていた地方紙はその日のうちに解約してしまった。新聞革命、ここに起これりと言ったところである。地方の新聞社、宅配業者の苦境はよく耳にするところであり、基本的に地方紙には頑張っていただきたいとは思っていたところであったけれども、さすがにこのサービスの質の違いには適わない。しかも言い忘れていたことであるが、このサービスは異常に安いのだ。お値段一ヶ月で何とたったの315円。これはその日の新聞しか読めないコースで、過去一週間分読めるコースの場合は425円。いずれにせよ、従来の新聞購読料のおよそ10分の1なのである。この圧倒的な価格差の前に、既存の新聞は太刀打ちできないだろう。
ただし、このサービスは自分が感じたほどに世間にインパクトを与えているというわけではなさそうだ。そもそも、このサービスはおととしの時点でスタートしているのだが、それまで一度も目にしたことがなかった。自分のこの記事で初めて知ったという方も多いのではないかと思われる。
これについては何となく理解できなくもない。基本的に新聞を購読する層というのは年配の方が多い。そういう人たちはパソコンの扱いに慣れていないし、従来型の新聞に慣れ切ってしまっている。よって、いくら便利であろうとも紙媒体の情報を優先しようとする。わたしの職場でも、年配の人はとにかくパソコンのディスプレイ上で情報を読むということができない。特に保存しておくべきでないものまでプリントアウトし、読んだら捨てるなどということを繰り返す。こんな方々がこのようなサービスを利用するとは考えられない。
一方で、若い世代の場合はパソコンで情報を収集するということについては抵抗がないものの、そもそもの知識欲が乏しい。であるからニュースサイトの薄っぺらな情報で満足してしまい、新聞という形式にはこだわらない。むしろ、定期的にニュースサイトをチェックするなんて人間すら少ないのではなかろうか。そんな体たらくであるから、わずかとは言え金銭負担を伴うこのサービスに加入しないということは、それほど驚くべきことではない。

しかし、わたしは主張したい。新聞は今の世の中を理解するための、実に有用なメディアであると。それぞれの新聞に若干の主張の偏りがあることは事実である。たとえば産経新聞は右寄り、朝日新聞は左寄りといったような調子である。しかし、であるからと言って新聞というメディアを放棄することは賢明でない。この世に偏っていない情報など存在しないためである。何か出来事が起こったという事実はひとつであれ、その解釈は解釈する者の数だけ存在する。それは致し方ないことである。さまざまな立場の人間があり、それぞれの解釈が存在するのだ。たとえば原子爆弾は数多くの日本国民を死に追いやったけれども、一方でそれは戦争を早期に終結させたという評価もある。もちろんわたしは日本人であり、日本国民としては当然に許せないことではあるが、他国民として客観的にこのことを捉えるとすれば、どちらが正しいというわけではない。わたしがもしアメリカ人であれば、後者のような意見を唱えているかもしれない。このように立場によってその解釈はおのずと変化する。真実があると思い込んでいる人々のその真実は、所詮その人だけに存在する解釈でしかない。(こんなことを虚実にどっぷり漬かった方々に言っても届くことはないかとは思うが、試みに一応言っておくことにする。)
多様な解釈が可能であるとするならば、必要なのは正しいひとつを見つけることではなく、その解釈の多様な広がりを認め、それがどのように分布しているのかを理解するということである。その態度は、ひとつひとつの情報の歪みを理解し、それを補正して受け取るということを可能にする。これを身に付ければ、偏った新聞も有用な情報収集源として十分に機能する。数ある情報源の中でも新聞を推すのは、すでに述べたように一日分の情報が簡潔にまとめられているためである。ネットが普及したことで即応性という点では適わないものの、内容の深さや網羅性という点ではやはり一日の長がある。ネットで情報をかき集めるのは一見手軽だが、その日の世の中の流れを知るという目的であれば、新聞を読むことの方がよほど手っ取り早い。

であるから、わたしはさまざまなネット上でのニュースも眺めつつ新聞も読み、新聞は有用なメディアであると主張する。そして、その新たな形態である産経NetViewを推薦する。何か分からないことがあれば、お答えいたします。興味の沸いた方はサイトに行けば無料のサンプル版を見ることができるので、試してみると良いかもしれない。

【追加】
どうも新聞というものにはある種の権威があるので、その危険性を最後に指摘しておきたい。新聞なるものが高級で、さもそれに書いてあることはすべて真実であるかのように吹聴する言説はしばしば見かける。わたしが主張するのはそれらの議論とはまったく異なるので、誤解なきよう。わたしが新聞を擁護するのは、それが一日分の情報をコンパクトにまとめている点に尽きる。(世に溢れるすべての情報に言えることなのだが)その内容は明らかな偏りが見られ、何も分からない人間が読むには危険きわまりない代物である。情報源は数ある中でも、新聞を取り立てて危険とするのは上述のようにそれが権威を持ち、あたかもその情報が真実であると見せかけている(読者が思い込んでいる)ためである。たとえば自分のこのブログのようなものを、まともに信じる人間はそれほどおらぬだろう。それに比べて新聞の場合は完全に妄信状態であり、それが事実ではないと分かれば怒り出す人まで存在する。
よって、初学者にとって新聞というのは、その新聞の解釈をあたかも真実であるかのように見せかけるという点で大変に危険を孕むものである。それだけにわたしは高校を卒業するくらいまでは新聞など読む必要などないと思う。それまではみっちりと過去の歴史を学習させよと考える。その一番の役目を果たすべき教科書がこれまた偏っているという何とも頭を抱えるような現状にはなっているのだが、幸いながら日本には池上彰氏がいる。彼の「そうだったのか!現代史」などのシリーズは、現代の出来事にダイレクトに影響しているにもかかわらず歴史の時間ではほとんど扱われない近現代のさまざまな出来事を、非常に分かりやすく、かつかなりの程度ニュートラルな視点で書かれたまことに稀有な著書である。このシリーズを通読すれば、現代のさまざまな出来事を理解するにあたっての素地をひとまず養うことができるだろう。その点で文字通り右も左も分からぬ初学者にとっては絶対のお勧めである。新聞を読めというのも、あくまでこの過程を経た上での話であるので注意するよう。急いてはことを仕損じる。千里の道も一歩から。過去を知るということが現代を知り、さらには未来を見据えることにもつながるのである。

近年まれに見る長文になっちまいました。読んでくれた方、お疲れさま。



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☆本日のコピペのコピペ☆
118 名前:猪(右利き)[] 投稿日:2006/12/30(土) 05:26:02.45 ID:l9UA622RO
あさがおの咲く季節の早朝。
けだるい空気がふたり距離を縮める。
まだ車の通りも少なく
しゃどうの真ん中をふたりで歩いてみる。
てをつないで
おしあうふたり。
めきしこ
では、
とうさんが
うんこしていた。

123 名前:黒豆(三粒)[] 投稿日:2006/12/30(土) 05:35:18.07 ID:1qdHTJ4VO
>>118
途中で飽きただろwwwww

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Comment
≪この記事へのコメント≫
いい情報をGETできました♪アリガトウ!!
確かに毎日新聞をチェック出来るわけじゃないから中々いいサービスだね。
それもお安い上に資源もセーブできるし良いこと尽くし!?

でも個人的に原子爆弾の例えは好きじゃないな。
「日本本土決戦(オリンピック作戦)によって予想される日米双方の犠牲者を救うため、原子爆弾によって日本の抵抗意思を砕き、降伏に導いた」(By Wikipedia)
と言われてもソ連にアメリカの偉大さでも見せつける実験的なものであったのではないかと疑ってしまう。どうせ日本が降伏するのは原子爆弾を落とす前から見えていたわけだし。。
2007/01/12(金) 17:29:28 | URL | えいみぃ #-[ 編集]
あれ?前回コメント残してたはずなんですが消えてますな。
あんまり覚えてないけどもう一回書いてみよう。

アメリカは勝つと思ってただろうし、日本は負けると思ってたのは間違いない。でも、それがそのまま早急に決着が付くということに結びつくとは限らない。理由は二点。一つ目は、相互に訳の分からない者同士が戦っていたこと。特攻隊なんてのは彼らの理解を超えていた。そんな連中が「一億総火の玉」なんてことを言ってるんだから気が気じゃなかったのは想像できる。
もう一つは、戦争に負けるということの意味合いが違っていたであろうということ。戦争に負ければ領土没収、かつ多額の賠償金を支払うというのが当たり前。第一次大戦ではドイツが負けて国内がムチャクチャになった。そればかりでなく、戦勝国の兵士が女子ども相手に乱暴狼藉を働くなんてのは今でも起こっている常識。バンザイクリフなんかを日本の軍部に騙された人間の悲劇なんて扱う論調もあるけど、そうとは言い切れない。

そもそも日本は本土決戦も計画してたようだしね。wikipediaの「本土決戦」を参照。それは今の役人の考え方と何にも変わらない。責任を取らされないために、前例を忠実に守って、出すぎた真似をしない。役人根性ここにあり、ってトコか。

とはいえ、自分も日本人としてはもちろん、「原爆ふざけんな」という意見には賛成。そして、それが日本人としての態度だと思う。ただし、それが一面的なもの、日本人としての視点でしかないということは意識しておくべきだと思うよ。それがなければ自国の被害を並べ立て、謝罪と賠償を要求する、あの国のようにもなりかねない。
2007/01/22(月) 00:02:10 | URL | Hoz #-[ 編集]
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