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道徳は教えられるか

いつものように産経NetViewを眺めていたら、「道徳教材に国庫補助」だそうな。「小中学校の道徳教育の教材について文部科学省は8日、平成21年度にも国庫補助制度を導入する方針を固めた」そうである。このニュースを聞いて、あなたならばどのように考えるだろう。税金を使って政府に従順な国民を作ろうとしている!!などと憤るだろうか。それとも、これだけでは物足りず、さっさと徳育を必修科目とすべきだなどと主張するだろうか。この違いがいわゆる右と左の違いなのだが、それのどちらが優れているという話ではない。横断歩道を渡るのに、どちらかのみでは危ないのと同じことだ。

道徳は教えられるか。前者で言えば、その答えはノーであり、後者で言えばイエスとなろう。しかし、現実的に考えてそんな杓子定規なことはあり得ない。教えられる人間には教えられるし、教えられない人間には教えられないというのがもっとも正しい答えだろう。そこに意味はなくともだ。

これに関連して、たまたまその後に読んだ別の記事で糸井重里氏が面白いことを言っていたので、ここに紹介する。

あのね、ま、言いづらい話なんですけど、

世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが

すごくたくさんいてね、多くの場合、

その人たちが迷惑をかけるんですよ。

なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、

すごく頭のいいことを考えて、

みんながそれに従えば

世の中がよくなると思ってるんです。

で、法律や、決まりや、

マニュアルをたくさんつくる。

それに従えば幸せがやってくると思って。

「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。

でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、

「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、

「俺、じつは読んでないんですよ」とか、

「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。

そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、

「どうして大衆ってバカなんだろう」って

もう、涙を流しながら思うんです。

「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。

でもね、彼らが言うようなことが、

世の中を変えたことは一度もないんですよ。

まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、

本当になにかを変えるようなものっていうのは、

「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、

「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、

そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、

決まりやルールは、あとからできるんです。

この話が出てきたのは「宮本茂さん、『Wii Fit』を語る」という対談で。これはこれで面白いので見てみると良いが、今回のネタと直接は関係ない。けれども、その言わんとするところはほぼ同じであると思われる。思うに、子どもたちに道徳を教えるために必要なのは、教科書を作ることでもなく、かといって作らせないことでもなく、法律を作ることでもなく、作らせないことでもない。それは結局のところ、人間と人間との生の人間関係の中からしか生まれない。その中には教師も学校も入っているのだからそこにまったく関わらないわけではないが、それらが働きかけることができるのはあくまでその対象の一部としてのみである。我々が変えられるんだ、変えなくてはならないんだという気概も思い込みも不要だし、そんなものは決して役には立たない。

にもかかわらず、現状で行われつつあることはその逆行もいいところだ。誰も読みもしない法律を書き改めて、教科書を作って、かつ、教師学校にそれを押しつけることで満足している。それに反対する側も同罪だ。反対することに精を出して、目の前の仕事を放り出してはいないか。これらの結果として、教師も学校も窮屈になり、子どもたちと接する機会が減って相互の人間関係を作り出すことが難しくなるという悪循環に陥っている。そこで一体全体どうやって道徳を教えられるのか。道徳だけに限らない。その他、学問以外のことも同様である。

現在行われつつある改革と反改革の狭間で、これまでかろうじてあった相互の人間関係すらもが失われつつある。繰り返すが、改革ごっこも反改革闘争も、何も生み出しはしない。人を変えることができるのは、相互の人間関係においてのみである。とすれば、その関係を維持、発展させていく道は何か。そのことこそが、考えられるべきではないだろうか。それは制度という大枠を変えてどうにかなる問題ではない。一人一人の教師が自分自身の人生経験を深め、それを教室で還元していくことであり、それを可能にしていく環境作りということでしかあり得ないだろう。それに世の中は気付いていないわけではないのだが、一方で管理の徹底だの何だのの無駄な仕事でがんじがらめにしているものだから、うまく行くはずがない。とは言え、教師学校の側もこれまでの悠長な時代のことは過去のこととあきらめ、物事の優先順位を把握して効率化を図っていく姿勢は求められるだろうが。また、道徳という問題に関して言えば、その一番の責任を負うべきであるのは他でもない親である。親と子の関係の中でその基本を養うことなくして、どこの誰が教えられるというのか。何をやったところで焼け石に水である。

それぞれの親、それぞれの教師がその役割を果たしてこそ、そのそれぞれの子は育つ。それ以上でもなく、それ以下でもない。わたしはそのように考える。

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☆本日のコピペのコピペ☆

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/23 12:47 ID:???

満席の電車乗ってるとき、きったねーババァが俺の前に来て突っ立ってるんで

こりゃ、席を譲れと催促してるんだなと気づいたから、

しゃーねーから譲ってやろうと無言で席立ったら、

「そんなに年取ってないですから結構です」

と生意気な事をほざいてきたもんで、俺もむかついたから

「年寄りに席譲ってんじゃねーよ。レディーファーストだろ?」

って言ってやったら、ちょっと間があって、

無言でその席に座ってんの。かなりウケル。

で、よく見たら、なんか恥かしそうに顔赤くしてうつむいてて、

かわいいトコあんだなーって、軽く勃起した。



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