スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
トイレに思う
洋式トイレの場合に、座って用を足す男性がおられると言う。最近では、そのように躾ける親もいるということだ。理屈は簡単である。立って用を足すとなると、子どもは言うに及ばず、成人とて狙いをよく定めねば枠内に収めて用を足すことは難しい。女性の方々には分からないであろうが、難しいのである。そうすると便器の周り、便座カバーを汚してしまうこととなる。これが最大の理由である。掃除する側にとってみれば迷惑千万であろう。安全に行う策があるにもかかわらずわざわざ危険な方法を用い、案の定汚しているのだからである。こう考えると、子どもに対して親がそのように躾けるのもうなずける。そのように用を足す成人男性というのも一人暮らしで、汚せば自分で掃除せねばならない身分なのではあるまいか。確かに合理的である。

この一方で、反論もあるようだ。この反論と言うのが随分と珍妙である。曰く、「男性らしさが失われてしまう」。何となく理にかなっているように聞こえるのかもしれない。もちろん、その主張がこれ自体で構成されているわけではない。行き過ぎたジェンダー教育への反論の、ひとつの具体例に過ぎない。けれども、これを見たときにずいぶんと考えさせられたものである。そんなものに支えられているという「男性らしさ」とは何なのかと。男性として守るべきものはあろう。その主張は理解できる。しかし、それはそれほど表層的なものではないはずである。他に主張するべきことはあるのではないか。

槇原敬之の作品に「男はつらいっすねぇ」という曲がある。かっこ良くあってほしいという女性に応えようとする男の悲哀を歌った曲である。そのワンフレーズにはこうある。「ズボンの中でくしゃくしゃになってしまったトランクスで部屋中うろうろしていても、尊敬される男になりたい」。要するに見た目の部分でなく、中身で評価されるような人間になりたいということだろう。これはいつも自分自身に言い聞かせているフレーズである。座って用を足していても、尊敬される男になりたいものだ。そう言えば、現実として部屋中をトランクスで歩き回っているだけに、こいつは火急の課題である。

☆本日のコピペのコピペ☆

ドイツっぽく便意を伝えたい

1 :番組の途中ですが名無しです :2005/11/16(水) 21:40:27 ID:ig6hMGLi0
うんこシュタイナー


ブログランキング参加中。学校で個室を使って、拍手で迎えられたことがある方はクリック!
スポンサーサイト
Comment
≪この記事へのコメント≫
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。