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概略、日本の大学の歴史 (1)
 以前に少し触れたのだが、わたしは何にせよ物事を行うにあたっては歴史を知ることが大事であると考えている。そして、大学に関わる者として、大まかな大学の歴史は押さえておきたいと考えていた。さらに、それをできる限り関係者の方々と共有できれば、と考えているところであった。今回のネタは、そのようやく完成した第一回目である。すでに仕込んだネタがあるわけではなく、リアルタイムで絶賛作成中であるため、次が出るのがいつになるかは分からないが、興味があればまたお付き合いいただきたい。
 なお、書いているのはさっぱりタダの素人であって、学術的な意義などは毛頭意図していない。あくまで教養として、大学関係者及び興味のある方へ、おおまかに認識していただこうというものである。基本的には教科書的になるよう、主観を廃す努力はしているつもりです。何かお気付きの点がありましたらご連絡ください。それでは第一回。

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第一回 「大学」の誕生

 第一回では、近代的な大学が日本においてどのような経緯で生まれたものであったのかについて扱います。日本においての「大学」という言葉自体は8世紀辺りまでさかのぼることができるのですが、そこからやり始めてしまうときりがありません。ここでは現在のわたしたちが思い浮かべるような、近代的な「大学」の誕生から始めたいと思います。

 日本に近代的な「大学」が生まれたのは、1869年(明治2年)のことでした。明治維新を成し遂げた新しい政府は、この年の8月15日に改革を行い、新しい太政官制を導入します。これは今で言うところの内閣制度、つまり中央での政治の仕組みです。なお、この名称や組織は、7世紀後期から10世紀頃まで実施されていた日本での律令制を元にしています。幕藩体制の崩壊に伴って速やかに中央集権国家を確立させる必要のあった政府は、手っ取り早い政治組織のモデルとして過去の律令制を復活させたのでした。

 この際に民部、大蔵、兵部、刑部、宮内、外務の六省などが作られるのですが、それらと同時に作られたのが「大学校」でした。「大学校」は翌年改称され、「大学」となります。ちなみにこの時点での「大学」は、最高学府であると同時に政府の教育行政機関でもありました。つまり、その名前から想像される教育・研究機関としてだけではなく、現在の文部科学省の機能も備えていたということです。

 さて、この「大学校」はまったく新しい組織として作られたものではなく、その母体がありました。これが色々と機関の変遷があって実にややこしいのですが、直接の母体となったのは、旧幕府の教育機関で、儒学を学ぶ場だった「昌平学校」、外国の文献を研究、教育する場であった「開成学校」、西洋医学研究の中心であった「西洋医学所」の三つ。「昌平学校」が「大学校(本校)」、「開成学校」と「西洋医学所」が「大学校分局」となります。さらに、翌年の「大学校」から「大学」への名称変更により、「大学校(本校)」が「大学」、かつての「開成学校」が「大学南校」、かつての「西洋医学所」が「大学東校」となります。

 明治政府による「大学」設置の基本方針は、「明治2年6月15日の達」で明らかにされています。「達」というのが何なのか分からなかったのですが、どうやら「太政官達」の略で、「明治維新政府の法令形式」、つまるところ規制や指示の通達のようなもののようです(『ブリタニカ国際大百科事典』より)。具体的な内容は以下のようなもの。

「神典国典ノ要ハ皇道ヲ尊ミ国体ヲ弁スルニアリ乃チ皇国ノ目的学者ノ先務ト謂フヘシ漢土ノ孝悌彜倫ノ教治国平天下ノ道西洋ノ格物窮理開化日新ノ学亦皆斯道ノ在ル処学校ノ宜シク講究採択スヘキ所ナリ」

 よく分からないので、引用元の『学生百年史』の解説を頼ることにします。それによると要するに、「国学(皇学)を根幹としつつ、漢学および洋学をも総合して大学校を設立」しようという方針のようです。すなわち、伝統的な漢学を扱っていた昌平学校を「大学校」の中心に据え、その脇に洋学全般を扱う「開成学校」、西洋医学を扱う「西洋医学所」をその「分局」として添えるという格好です。

 ただ、ここで大きな問題が生じます。お気付きかも知れませんが、「漢学=国学」ではないのです。政府の方針は本来漢学の場であった昌平学校を大学校(本校)において国学を根幹として伝統の漢学をそれに従属するものとして位置づけるもので、これが国学派と漢学派との激しい対立を招くことになってしまったのでした。特に、「大学校」の開校にあたって、江戸時代の儒学の牙城であった聖堂において堂々と学神祭が挙行されたことは、大いに漢学派の反感を買ったようでした。これはモスクでクリスマスパーティをやるようなものですから、何となく理解できます。

 この両者の対立はいよいよ激しくなり、最終的には講義が行われないほどまでになってしまいます。この問題に対応する形で明治3年2月に定められたのが「大学規則」でした。「明治2年6月15日の達」が基本方針にとどまっていたのに対し、「大学規則」は大学の基本理念から試験や学費など、より具体的な内容にも言及しており、明治政府の学校設置計画と言えるようなものとなっています。この「大学規則」で重要なのは、それが従来の国学・漢学志向から洋学志向へシフトするものであったということです。「明治2年6月15日の達」にあった「神典国典ノ要ハ・・・」の部分が削除され、国学中心の立場は後退してしまったのでした。「大学規則」は結局そのまま実施されるには至りませんでした。また、国学・漢学の両派が結束して洋学派と対立するという一幕もありました。しかし結局、大学(本校)は1870年(明治3年)7月に閉鎖されてしまいまい、「大学」の機能は「大学南校」と「大学東校」、すなわち洋学派の系統によって発展していくことになります。

 大学本校が閉鎖されてしまった翌年の1871年、文部省が設置されます。「大学ヲ廃シ文部省ヲ被レ置候事」、つまり「大学」を廃止して文部省を置く、という太政官布告が発せられたのでした。当時の大学は教育・研究機関であったのと同時に教育行政機関としての性格も持ち合わせていたことはすでに紹介しました。「大学」は教育・研究機関としてはすでに閉鎖されていたのですが、後者としての機能はこの時点まで存続していました。けれども、この布告により教育行政を担当する機関としての立場は文部省へゆだねられ、「大学」は姿を消してしまいます。

 それでは、残された「大学南校」と「大学東校」はどうなったのでしょうか。「大学南校」と「大学東校」はその後、「東京開成学校」、「東京医学校」とそれぞれ改称され、多数の外国人教師を雇い入れるなどして独自に教育・研究機関としての機能を充実させていました。そして、1877年(明治10年)にはこの二つを合併し、「東京大学」と称する旨の布達が発せられることになりました。色々と変遷を辿ってきましたが、この「東京大学」こそは日本における初めての近代的な大学です。 

 この「東京大学」の誕生は、以前より計画されていた大学創設の方策を実現しようとするもので、アメリカの大学をモデルとして実行に移されました。なぜアメリカなのかというと、当時の文部省がお雇い外国人として、あるアメリカ人を雇っていたためです。その名はダビット・モルレー。彼は学監(文部省顧問)として積極的に当時の教育行政に関わり、「わが国における近代教育の確立において指導的役割を果たした」と賞されている人物です。モルレーはアメリカでの大学教育の経験に基づいて色々と助言を行い、それが基礎となって「東京大学」が生まれました。とはいえ、組織としては開成学校に法学部・理学部・文学部の三学部を設け、医学校には医学部が設けられ、あわせて四学部編成というもの。ここから分かるように、大学が生まれたと言ってもあくまで二つの学校が合併したというだけで、それほど大きなインパクトのある出来事ではありませんでした。



 第二回へ続きます。

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 さて、第一回はこんなところで。今回は日本の近代における「大学」の誕生について紹介してきました。これまで見てきたとおり、1,877年に生まれた「東京大学」が、日本で初めての近代的な大学です。 ただし、誕生とは言っても、まだ生まれたのは「東京大学」だけ、しかもこの「東京大学」もたまたま現在存在する大学と同じ名前であるだけで、それとはまったく異なる組織です。現在の姿になるのはまだまだ先の話。次回では、その後の「東京大学」の発展を追いかけていくつもりです。いったいいつになるのか検討が付きませんが。。。


☆本日のコピペのコピペ☆

613 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/11/01(土) 11:15:06.68 ID:gVOi4UG40
色々な事が重なって、
友達に

「死にたい。こんな自分嫌い」

とうざいメールした。
夜中だったし絶対寝てると思ったら五分後、

「何があったか知らないけど、私の好きな人の事を嫌いとか言わないでくれる?」

と返事がきた。
まじめに嬉しくて涙がでた

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